2017年03月11日

琥珀の夢(247)看板

寿屋洋酒店の看板は今も数点残っている。
それは今でも十分通用する素材とデザインだ。

「大将、このくらいでかんにんしたってもらえまへんか」

木工屋の職人は本当に泣きそうだったと、後に語っている。


それほど信治郎の第一号の看板へのこだわりはすさまじかった。
しかしそのおかげで、職人にはあれと同じ看板をという注文が一気に増えた。


もっとも、信治郎が費やした資材、染料、手間賃を聞いて皆あきらめたそうだが。




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2016年07月27日

琥珀の夢(26)大阪商業学校

高等小学校で学んでいた信治郎を、父の忠兵衛は、前年できたばかりの大阪商業学校に入学させた。学問に優れた信治郎に新しい商いを学ばせるためだった。

大阪商業学校は、五代友厚を中心に創立された大阪商業講習所を前身とし、新しい時代の商人の教育を目的とした学校だった。


この商業学校は当初私立として設立されたが、簿記学、経済学、算術、習字、英語、中国語を中心にカリキュラムが組まれた。

その後、大阪府と文部省から補助金を得て大阪府立商業学校に昇格し、明治22年に大阪市の誕生とともに大阪立商業学校となった。


当時全国でも数少ない商業を学ぶ名門校に信治郎を入学させたことから、忠兵衛が信治郎に並々ならぬ期待を寄せていたことがわかる。

信治郎はそこに2期生として入学したが、後に野村徳七(野村證券の創業者)、飯尾一二(大阪合同紡績社長)など、大阪を代表する財界人を輩出した。


信治郎は自分の将来にとって必要な学問を見つけるために、さまざまな授業に出席したが、どの科目も今ひとつ彼の目にはかなわず、英語や中国語の授業の方が楽しかった。


(ひとこと)
信治郎が入学した大阪商業学校は、現在の大阪市立大学です。このあたりは朝ドラ「あさが来た」でも五代様がらみで紹介していました。

出来立ての学校というのは、優秀な学生が伸び伸びと好きなことをして行けそうですね。信治郎の好奇心は、ここでどのように伸ばされて開花していくのでしょうか。


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